2008年1月17日木曜日

回る回るあなすたしあ

ラップのトップギアに乗せて、踊り狂う竹光の孤独は、青大将といわれた田中久仁江の、太く短いあれに等しいといえるのかもしれない。
無駄な時間をすごしてきたわが身を呪うよりも、それを許してくれた、周囲の配慮に感謝すべきときだろう。次は何をすべきだろう。なにができるのだろうか。

多くの物語は、左右対称をなして、遠くへ飛び去ったアホウドリのように、広々とした空間を無尽蔵に消費して、それがもはや、質量を伴わない、ある意味不確定な膨張に至る過程を見せ付けられたかのような、錯覚を覚えた末に、軟着陸を敢行した。胴体着陸ではあったが。

そのときパイロットは、それとなく、浮き沈みを続ける憂鬱なときを堪能し、また、むさぼることでむさぼられていた。

気づいたときには、正しい形で僕の魂は存在し続けていることが再確認され、ほっとしたものだった。

また、どこかで、出会うであろう、様々な怪事件を、僕らが目にとどめておくことは、更なる膨張を希求し、希望という名のサバンナ(なんじゃそりゃ)を生み出し続けることだろう。

ありがとう。
デモンストレーション。

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