2008年1月29日火曜日

プログラム職人の心得

 そもそも、集中することと拡散することは、それぞれが、それぞれを補い合うものであるはずなので、もしかすると、この議論は成り立たないかもしれない。それでもあえて、そこに定義らしいもの。指針らしいものを見出したいと思うのは、私の無駄な努力かもしれないが。やってみたいのだから仕方がない。
 そもそも、職人と一言にいっても、さまざまな仕事に携わる人がいるので、そこに何かを求めること自体、難しいのかもしれない。
 職人はひたすらに、自分の技を高めていく人だといえるかもしれない、また、教わったことをひたすら繰り返すことで、体得していく技術を生業としている人だといえるかもしれない。
 では、プログラマとは何者であろうか。プログラマーという職業は一見、家具職人や寿司職人と同様の職種を指し示しているかのように解釈してしまいがちだが、なにかが違う。なにが違っているのか?
 一般に職人と言われる人たちが利用する道具は、長い間同じものが使い続けられる。普通職人はそれらの道具を工夫して利用することで、製品を作り上げていく。時には道具を改造することもある。対して、プログラマが使う道具は、コンピュータということになるが、コンピュータと一口に言っても、開発する際には製品の動作環境や、目的、流行に合わせて、言語や作業環境が多岐に渡る。そして、それらのうちのひとつを選択して、技術を深めるだけでは、プログラマとして生計を立てるのは難しい。
 また、職人の評価は、精密さ、スピード、美しさ、確実さなどがあげられる一方、プログラマの評価はスピード、安定性、操作性、再利用性などによって評価される。
 しかし、もっとも重要なのは、職人は果たす役割によって定義されるが、プログラマは彼らが働くことのできる、作業環境と言語によって定義されている。この違いは非常に大きい。

つづく。

参考までに

http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50058753.html

できることは多い

己を知り、敵を知れば、すなわち危うからず。
ということで、

現実と夢という、関係があるようで、ないような、二つのものを脇に見据えつつ、己を知ろう。

現在に満足しているところが大きい。
その現在とは、

ぷー太郎
貯金はまだある
家事と読書とテレビの毎日
夜になれば彼女と酒が飲める

んー、幸せだ。
しかし、このままではまずい部分もいくつかある。

ひとつ、ぷー太郎であること。これは、先々のことを考えるとまずい。具体的な先々については、後日検討するとして、とにかくまずかろう。何よりまずいという感じがまずい。

ということで、仕事をする必要があるわけだが、さし当たって前職の技術はまだ使えるであろうから、それを使って仕事を見つけることにする。具体的な仕事に関するこまごまも、いずれ検討する必要があるだろうが、これも今は本題ではない。まず、働くのだ。

仕事がひと段落したとして、読書とテレビだけの毎日というのもつまらないという感はある。
じゃあ、他に何をしようか。

やってみたいことはいろいろあるが、今注目しているのは、家。マイホームってやつだな。
できれば、見晴らしのいい田舎で、古い家を改装して、感じよくして住むというのは、ありがちかもしれないが、非常に魅力的だ。この家には、広いキッチンがほしい。食は生活の基本だ。それから、庭が欲しい。観賞用というのも悪くはないが、どちらかといえば、鶏ややぎを飼って。日々の食生活に花を添えたいと思う。欲を言えば、石釜なんてあったら、時々ピザとビールで時間をすごせて、非常によいのではないだろうか。建物の話をすると、やはり平屋がベストだろう。手入れしやすく、何しろかっこいい。そして、日当たりの良い斜面に立地して、南には海があったりすると最高だ。まあ、ありがちではあるが、そういうことだ。

家を持つからといって、一歩もそこから出ないというのでは、寂しい気もするので、外に出たくなった時の楽しみもいくつか用意しておきたい。といって、これから、新しいことに挑戦する気もあまりないので(この件に関しても検討が必要だろう)、今までにトライしてきたことを、温めていく方向で考えてみよう。まず、スポーツといえば卓球だ。それから、ビリヤードだ。そして釣りだ。これくらいあればいいだろう。

あとは、たまに旅行できれば、いいかな。

うーむ。検討事項が山積みだなこりゃ。

2008年1月25日金曜日

流れある一日の平衡状態について

強烈な二日酔いが懸念された昨晩の宴会から一夜明けて、良い意味で予想を裏切って、調子の良かった僕は、長らくお世話になっている女性と、映画を見に行きました。

映画は社会的な地位から脱落していく男が、何となく人に救われて、幸せを得ていくさまを描いたものでした。
とにかく酒飲んで、タバコすってた印象が強かったですが。
ただ生きているだけでも、実にさまざまなことが起こるものだなと、実感させてくれる作品でした。
いいものを見ました。

その足で、蚤の市に出かけ、そこでばったり知人に出くわしたわれわれは、彼の家にお邪魔して、コーヒーをご馳走になりました。最近越したばかりという彼の家は、一貫した趣味が自然に表されている、素敵なアパートの一室でした。コーヒーご馳走様でした。

あまり深く考えずにすごしていると、幸せが向こうからやってくることもあるもんだと。
つくづく思った一日でした。

フランスいきたいなー。

2008年1月23日水曜日

無駄足踏んだ

久々に町へ出かけてみると、なんせ風景はなんとも違ったものになっておりました。
しかし、そこはそれ、見るものはあまりかわりません。

靴をやっとのことで購入して、ぼろぼろのスニーカーは晴れてお役御免となりました。
長いことありがとね。
君と歩いた旅路は一生忘れません。
ありがとうございました。

新しい靴ですが、スロヴァキア産と書いてあります。
そんなところから靴がやってくるという話は、いまだ聞いたことなく、興味がわいたので調べてみたのですが、スロヴァキアのCEBOという会社は、軍用品の老舗メーカーらしく、今ではシューズメーカーとしてかなり有名らしいということがわかりました。
日本でも扱ってる店が結構あるみたいですね。

靴を探して、以前から気になっていたお店にいった折、おしゃれなPコートがあったので、それも買ってしまいました。いやはや、出費がかさみますね。

それから、車の側面に傷が見つかったので、見積もりを取りに、某大型店へ。
わずか20センチほどの引っかき傷に38,000円は高い!
車の修理には詳しくないので、適正価格なのかどうかはわかりませんが、素直な感想でした。
自分である程度はごまかせるようなので、そちらで対応することに。
今日は雨が降っているので、明日にでもちょいちょいとやってしまうつもりです。
車磨いて塗装して、また磨く。
楽しみですなー。

2008年1月17日木曜日

回る回るあなすたしあ

ラップのトップギアに乗せて、踊り狂う竹光の孤独は、青大将といわれた田中久仁江の、太く短いあれに等しいといえるのかもしれない。
無駄な時間をすごしてきたわが身を呪うよりも、それを許してくれた、周囲の配慮に感謝すべきときだろう。次は何をすべきだろう。なにができるのだろうか。

多くの物語は、左右対称をなして、遠くへ飛び去ったアホウドリのように、広々とした空間を無尽蔵に消費して、それがもはや、質量を伴わない、ある意味不確定な膨張に至る過程を見せ付けられたかのような、錯覚を覚えた末に、軟着陸を敢行した。胴体着陸ではあったが。

そのときパイロットは、それとなく、浮き沈みを続ける憂鬱なときを堪能し、また、むさぼることでむさぼられていた。

気づいたときには、正しい形で僕の魂は存在し続けていることが再確認され、ほっとしたものだった。

また、どこかで、出会うであろう、様々な怪事件を、僕らが目にとどめておくことは、更なる膨張を希求し、希望という名のサバンナ(なんじゃそりゃ)を生み出し続けることだろう。

ありがとう。
デモンストレーション。

2008年1月10日木曜日

ぬめぬめっと

クラスターマジック。
勧進帳。

生き生きとした悲しみと喜びのハザマで、君は、それを見ただろうか。

みたな。
みたな。

無理難題を投げかけて、力を出すことを、強要することが。
頼朝に追われた義経と弁慶にとって、とても重要なことだったのだ。

この後彼らはどこへ旅立つのか?
膨張しているとうわさの宇宙においては、まったく予測不可能であるし、予測する必要もない。
なぜならこの物語は最高だからだ!

愛してるぜ!ざ、わーるど。

動き出せ

無理やり作った悲しみに浸っている暇はない。

必ずしも、君が見た夢が、寒々しい夢の果てに追いやられたわけではない。

鋭いまなざしで物事を見通す、カイワレ大根のような存在に慣れるかもしれない。

そういったものに、私はなりたい。

うまうましい彼女の存在自体が、くんずほぐれつ、いろいろな思いを折りなして、折りたたんで、もうどうにでもなれって感じで無理やり流されてしまった、多くの思い。

それは、君にとっていったいなんだったのか、それはわからないし、知る必要もない。

ただひたすらに、前へ。
進むべき方向へ前へ。

2008年1月9日水曜日

さびしんぼうの僕たちは

かわるがわる、うごめく光の中で、われわれ一同は果たして何を見、何をしてきたのか。
まったくわけがわかりません。

うるうると光るわが目を見開いて、空まで高く、うずたかく積もり積もった憂鬱を、いつか風が吹き飛ばしてくれることを祈りながら、私は歩くことにします。

ええ、そうしましょう。

組したままの状態で

狂ってしまった歯車をもう一度噛み合わせるにはどうすればよいか。

遅かれ早かれ、それは起こることでした。
それでも、私は、早くからそれに気づいていました。

だからこそ、踏み切れなかったわけです。
この目で確かめるまでは。

事を急がねばなりません。
自殺行為は許されません。

なぜか。
まだです。

脱線

脱線に付き合う気はない。
それが答えだということは、それなりに頷ける気がします。

脱線ばかりしていたわが身をのろうことはあります。
しかし、私にとって、脱線こそ重要だったのであり、脱線の中にこそユーモアはあるのだと考えていました。

しかし、それは誤りだったようです。
真摯に受け止めることをしなければ、前へ進むことはできそうにありません。

険しい道に差し掛かりました。
とても険しい道です。

最後は真っ暗闇かもしれません。
しかし進むしかありません。

ああ夢ならば醒めてくれ

かどわかすことは、それとなく、そうすることだと思っていた。
必ずや何かの導きがあるはずだと。

しかしそれは違っていたのだ。
そもそも間違っていたのだ。

完全なる敗北。

苦しみは何かを生むだろうか。
生みの苦しみ?

無残に散った心の奥底に、自分の位置を求めているということが説明されている。
ならば、説明された心の動きから、何を捨て、何を得なければならないのか。

そこには大きな欠落があるように思われる。
私はかつて罪を犯したと告白いたします。

それは大きな罪なのか、そうでないのか、自分では良くわかりませんが。
おそらく大きさは問題ではないのでしょう。

それでも、私が今日ここにあるのは、彼らが私を見捨てなかったからであり、私が生きていたかったからであります。いまでもそれは変わりません。

なおかつ、無駄な努力というものがあるような気もしています。

さて、私はこの先どうするべきなのでしょうか。

仕事を持ちたいと考えています。

夢ならば夢で、何とかしたいと思います。