2007年11月29日木曜日

あらあらあら

黒柳徹子と漫だらけの母は、君が代の斉唱とともに、あの世に去った。
微塵に散った、あらゆる金属の物音が、きびすをかえして、車座に座ったわれわれの魂を奪っていったのである。

見るも無残な、貴金属のたそがれの中に潜む欲望の塊、皆が目指した未来は底にあったのか、おそらくなかったろう。

金額の問題ではなく、しみじみと感じることのできる、禁断の書物の味を誰もが味わえるわけではないことは百も承知である。

中断また中断。

必ず起こる裁きの時間と、カルバリィCの魅力の塊。

みじんこげんき。

2007年11月28日水曜日

アルキメデスの原理はするかしないか

するもしないも、心のままとは、果たしていいがたく、ままならぬ日常にぼんやりと浮かんだ、メリットとデメリットのハザマで揺れ動くいったいの隠微な裸体は、見るも無残な、裁きを受けて、目に映るものすべてを繰り返し破壊していった。

過去の数日間に起こった出来事は、見た目にもこれといって、痴呆の様相を呈していたわけではなかったが、なんども、繰り返し物事の本質を見失った後では、痴れ者の淫乱さを備えた、か細く白い裸体に身を任せてしまいたくなるのもまた人情である。

まれに見る恍惚と自尊心の中で、できのいい人々、これはあまりに卑屈な表現かもしれないが、そういったものが、あまりに多く見受けられ、戸惑うばかりである。

また、戯言というなかれ。

皆の言うこともまた真実なのであり、それぞれの空間と時間が、合い間見えるその日まで、そう長くは間もない。

彼らの行き先がどこなのか、だれもわかっちゃいない。ただ、その方向が正しいことだけははっきりとわかっている。ふがいなさに打ちひしがれながらも、それに気づかないふりをすることが、もっとも間違った道であることをはっきりと自覚し、実行に移すことが、今こそ求められている。

桑田真澄氏に捧げる

2007年11月27日火曜日

職業安定所

もっと悪く言えば、といわれて、立ち止まった。
何も言えなかった自分に憤りを覚えている。

なぜもっとはやくこのことに気づかなかったのか。

これからやるべきことをやっていくしかないだろう。

なだめ

そらみみ聞いては、ありもしない誘惑にかられ、はるかかなたを仰ぎ見る季節。
あれよあれよというまに、空とぼけた愛の軌跡は、はやまった木馬の腐食のごとく、次々となぎ倒されていくのであった。
みーみー蝉の鳴き声というのもおかしいかもしれないが、まったくあずかり知らないところで、物事は進行しているものであり、赤鼻のトナカイと仲良く散歩しているつもりが、いつの間にか自分がトナカイになっていたというのでは、あまりにもしゃれにならない話である。

みんなの行く末というテレビ番組を放映中に、窮屈な螺旋階段をタンタンと下りていくような、みだらな気分に従って行動してはならないと、いくつかの著名人が言っていた。

ラッパのマークの正露丸を片手に夢を見るような。そんな気分でした。

2007年11月19日月曜日

アルティメッと

あるかないか、ないか。
渋いか渋くないか、ちゃらいか。

民事訴訟民権運動その後、あなたの中に生まれた力関係が織り成すドラマティックな仕事の時間。
みしみし音をたてて、金瓶梅を読みふける、夜な夜な這い回る蛆虫と時間感覚。
修練された技術。醸造技術の今後。ある一転で消化されるべき物語の終末に向けて動き出す、さまざまな思いと導火線。
シャンバラヤに出向いたエネルのごとく、さんさんと降り続ける太陽光と温度計。
みんなげんき。
散々なきながら生きている。歯を食いしばって。

まるまると肥えた、豚の照り焼きと、三紺三尾、ある馬の物語。

草々。

はなずるずる

カミングアウトと相対性理論の関係は果たしてあるのだろうか。
あるような気がしてならない今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

みんながみんな何かを貪って生きています。
それでも、権力と構造は変化し続けています。
だから未来に希望はあるのだと思います。

様々な思惑が絡み合う中、一条の光が瞬いていると思います。

それでも僕は生きていくのです。

だからこそ、さんざん言い訳した後で恐縮なのですが。
さすがに、馬には乗れません。
ライダーではないからです。

アメーバブログなんて変な名前だなと思ってましたが、つけ始めてからというもの、いい名前だとおもうことひとしきりです。
でもブログが世に登場したとき、僕の前に現れたのはBloggerでした。
だから、しばらくはここにいさせてもらいます。

あーといえば、うーと返す、そんな日々が訪れて、老いも若きも、散々悩んだ挙句に、道をふみはずすことはなはだしく、しこうして、五月雨の夜にうちひしがれても、雨はやまず、ただ、枯葉のごとく舞い散るのみであります。

あー無常。

2007年11月16日金曜日

さるわたりさすけ

ムンドモロッソ。そのありとあらゆる動性は、最後のからまりをよそに砕け散った、一抹の不安に等しい。
ムンドモロッソ。ある意味それはくだらない理性のために砕け散った、ある晴れた日の午後に等しい。
ムンドモロッソ。神の名において物申すことは、様々な野望が砕け散った後で、切々と魂の叫びを続けることとほぼ同等である。

それらに基づいて、君の落語を聴いてみることにする。
いかにもそれは、阿呆と馬鹿の織り成す、愉快な人生談義のようにも思えるし、あるいは、しごかれたペニスの災いのごとく、ありふれた日常に活をいれる、ひとつの起爆剤となるやもしれぬ。

みなさんご存知のとおり、そこには、これといって、特に取り沙汰す必要もない瑣末な出来事が、わんさとあふれかえっているのであり、振り返ってみたところで、これといって、新しい発見があるわけでもない。

むかつくことに、それは突然やってきて、気づいたときには私の手の届かない領域に旅立ってしまっている。特に気をつけよう。ありとあらゆる敬語に。

みんなの未来に知らしめるために。

彼と彼女の目測に。

ありとあらゆる物事の道理のために。

マハラジャとマハーバーラタは似ているか、ラッパのパンツは青いか。

あえて、物申すならば、譲歩をもって、こう申し上げたい。

じあまり。

アラベスク神風

うたまるのウィークエンドシャッフル。
タマフルの憂鬱。

信じられない理性。

禁断の方法。

ありのままの自分。

うまくいえないラプソディー。

くるまざきだんきち。

耳たぶにたこ。

ラーメンライス。

カーナビゲーションシステム。

もうほうの雄たけび。

からしめんたいこ。

るっくすピストルズ。

朝焼けの憂鬱。

坂本九。

なでしこ。

ラッパー志望の憂鬱。

マンネリ化した日常。

かもし出される不安。

喜べない合格。

さとうしんじ。

じあまり。

2007年11月13日火曜日

するめいか

のごとく

しぼんだ太陽の真ん中に手を押し当てて、遠くを眺めよう。
いつか来る夕日のそのまた向こうに、輝かしい未来が燦然と浮かんでいるさまを、しかと見届けよう。
みな同じ地球に生きているのだ。
陳腐だけど。

2007年11月12日月曜日

やるきのない

もう一度

いやなら嫌とはっきり言え

貴様はあてつけのつもりでそういうことをやっとんのか?

それとも応援してくれてんのか?

どっちやねん。

2007年11月11日日曜日

はらがたつ

あるいみDNAの問題なのかもしれんが、新たな旅立ちを助長する、正しい物事のいくばくか、は、真剣に出来事を通った後では、ただただ、ありがたいものだな。

三々五々、そうしてみたところで、苛立ちの募る毎日を何とかやり過ごしていくことで、多くのことは解消されるのかもしれない。

みんなで集まって、近々に冷えたビールを飲み干すと、ルワンダとかなづちと、百パーセントの誘惑に身を任せることが、それなりに面白いものに思えてくるのはなぜだろうか。

見かけによらず美しい炎をともして、遠く色あせた空を眺めることを旨とする、多くのともしびにのって、ありふれた日常に心底感謝すること。何らかのさばを読んでいくことが必要だ。

奥の細道

昨日限りの出来事は、いかなる失態を持って、償われるのであろうか。

信じられないいくつかの誘惑線のなかに、いまだかつてない、君からのメッセージがこめられているような気がして

それがいつになれば報われるのか、だれにもわからない。

今をときめく二十歳の私は、当に忘れ去られ、信じられないいくつかの出来事が、起こり続けている。

今から三千年前、人類が滅亡したころには、僕はどんな光景をみていただろうか。みていなかっただろうか。

すばらしき人生、それもまた一片のしに他ならないのであり、いくつかの他愛もない出来事から、つむぎだされるたちの悪い冗談といえなくもない。

僕が感じた恐怖心や、それにまつわる、いくつかの出来事は、いまだかつてない、信じがたいほどの実力を持って、襲い掛かってくるものだ。

未知との遭遇は、好奇心と、義侠心と、神話によって、今に受け継がれているが、仮にそれがただのいたずらだったとしても、信じられない気持ちに、偽りはないのだ。

未来もそのまた未来も、過去も、気持ちひとつで、どこまでも広がりうるものだとして、肝心のそれが、感覚的なそれが、寒暖差が、意味をなさないといっても、みんながみんなそれを信じるわけではなし、信じられるものがあるわけでなし、禁じられた遊びがあるわけでなし、たまたま通りかかった絶望に未来を感じることもまた生まれ変わりの如し。

淫乱なメス。それは暖かい抱擁と、黒光りしたカーテンを、同時に見せ付けるが、ありのままの自分をそこにぶつけていくこともまた、ありありとした自然の流れに身を任せるためには、らだとうしん。

からから。

人間関係

そらと海との間には
今日もつめたい風が吹く
君が笑ってくれるなら
僕は悪にでもなる

君はどこへ行った。

2007年11月10日土曜日

奇印良品

しらじらしい。世界不思議発見。

王なんかしったこっちゃねぇ。

意味ないんだよそんな事やったってよ。

禁じられた遊びを覚えたって、イングランドは勝てないんだよ。

死んじまえ。
くたばれの方がいいか。

いんじゃんほい。
陰金田虫。
しらみ。小結。金の玉。勘当。きんちゃく。イリギリス。
うんぱの王は三戸の箱舟。
禁断の馬は、空の方舟。

方舟は金ちゃんファミリーか?

いじらしい。気味悪い。カンジタ。するめ。たこは無視。

きにいらなければ、さばを食え。

スルメイカは天動説にのっとって北上していった。
みみずくは宗教学者ではない。
りんどうは植物だけどいみじくもうるわしいかけがえのない馬。

まあそんなところだ。

いまいましい

なぜ「き」なのか。

青でもいいんじゃないか。

赤でもいいんじゃないか。

でも、き、なんだね。

きのこのきだね。

猟奇のきだね。

キングダム オブ へヴン

なんのこっちゃ。

しぶしぶ

生まれ変わったときのことを考えていました。

今日からおよそ半年前、そのときはありました。そのときにはそうやすやすと生まれ変わるものか、なんて思っていたのですが、からからと鳴り響く地平線は、空を覆い隠して、なおかつそこにたたずんでいるのでありました。

裏返った身体、破裂した内臓、テセラック。

いきなり関連するいくつかの物事。

裏返ると飛び出せ青春。

ルーリードも言ってたね。

2007年11月6日火曜日

くるまざに

座って、遠くを見通す。
君の視線は、はるかに僕を通り越して、様々な物象へ注がれているのか。
それとも、そこには、それなりのわけがあるのか。
禁じ手と呼ばれる所以は、因果関係とはかかわりなく、ただ過ぎ行くものに思えてならない。
いくばくかの自然と人類の相関関係は、意味不明の文章によって説明されるべきではない。
今しがた僕が語ったことの多くが、単なる戯言であるとしても、信じようと、信じまいと、それは続いていることなのだという事実。
いましがた、それを、許すか許さないかを問うべきではないと申し上げた事実を、肝に銘じて、君から授かるすべての言葉に、あえて物申して行かんと欲す。

しれしれ。