2007年12月9日日曜日

隅々まで効く

バルサン。

勘当するもしないも、寒暖差がかもし出すオーロラのごとく、キャッチーなフレーズの存在を、往々にして欽ちゃんファミリーの終焉だけが認めている感動とともに、ミラクルを起こす時のみ、ありえる話だと思う。

今日ここにおわします、私=彼は、ラッキーな星の元に生まれました。というのも、そもそも誕生とともに、きぐるいじみたわが身の不幸を呪ったことは、いままで一度としてなかったからであります。無駄に生きていくというナンセンスな考えにとらわれたとき、彼は初めてそれを体験しました。つまり、人であることに疑問を抱いてしまったわけです。もっといえば、彼は彼が人であることに気づいてしまったわけです。遅かれ早かれ、それは訪れるものなのかもしれません。しかし、彼がそうしている間にも、遠くで星が瞬いていることがわかったのです。まさにピーターパンです。

ここで、彼は腹をくくることを決意しました。しかし、それがどういうことなのかは、いまだ理解できていません。しかし、彼はそれを問い続けていくことになりそうです。しばらくの間、もうどうすることもできないと思い悩んだようです。でも、彼は考えることをやめようとは一度も思いませんでした。だから彼はこう思いました。

ルイーじもーくドールシックスせんじょうみんかんじくりとまんだらゆうとみんだなえん。

アン・ドゥ・トロワとは行かないまでも、むしろ円環構造状のたらたらと流れる無の状況は、キスをしたときの無駄な憂鬱に良く似ています。この甘美な身体は、欄干のカムランブラウンの様に、ありふれた日常に生まれたばかりの故郷の味を、とうとうと語って聞かせるだけの、うまみをもったアナロジーであります。

そうです。彼が誕生したときには、まだ世界はありませんでした。なぜなら、彼と彼女の存在は未だ出会ってはいなかったからです。無人君と安易な道のりは、同じようで、また違うようで。それなりに楽しいものであるかもしれません。

とうとうと書き綴ってきましたが、しみったれたわが身の不幸を呪って生きるよりは、無駄とは思いつつも欄干のカムランブラウンのように、想像のダイナミズムのなかに身をうずめることに、何かを見出したと考えられなくもないと思います。

そういうことです。

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