2008年9月18日木曜日

なんともない

一昨日の面接まとめ。

彼が言っていたことはこういうことだと思う。

オープン系のプログラマと呼ばれる人たちの多くは、上級言語をベースにした開発しか知らない。
したがって言語の進歩を後追いしていくことに終始してしまい、言語を道具として利用することができないまま、言語に使われて、それに疲れて辞めていってしまう。

低級言語は、シンプルな命令セットしか用意されていないので、プログラムに個々人の能力差が出やすく、そこで切磋琢磨してきた人たちにとっては、上級言語はスマートな使いやすい道具としてある。

おそらくこの問題は大きな視点で見て一つ正しい。なぜなら、だからこそ、プログラマと言われる人たちは昔少なかったし、重宝されてきた。

しかし、一方で、個人的な問題。つまり、そもそも育ってきた環境や、現在おかれている状況の中で形成される自我もまた、言語を道具として利用する人たりえるかどうかの大きな基準となる。
なぜなら、上述の文脈における本当のプログラマ(彼はそれを技術者と呼んだ)たるためには、自分の意志を強く持ち、それを維持するだけの鍛錬、忍耐、突破を持続的に行うだけの強い何かが必要になってくるからだ。

では、僕は「技術者」にはなれないのか?

そこで彼は提案をしてくれた。組織にはいろいろなタイプの人間が必要とされているからだろう。

ここで言う技術者は、いわゆるわが道を行くタイプで、力強いが、独走しがちである。
そこで、いろいろな視点を提供してくれるチェック機構が外部に必要となる。
それを担う人間に求められるのは、持続的な技術の収集と蓄積、そして、それを引き出しにして問題の発生を未然に防いだり、発生した問題のフォローをすることだ。

この役割なら僕にもできるかもしれないと思った矢先、それなら元の会社でやってたことと変わらないじゃないか。ということに気づいた。。。

じゃあ戻るか。
戻らないかと誘いは来ているわけだし。

しかし、そうなると、私生活に影響が。。。

つづく

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