2008年8月27日水曜日

飽き性は直るか

怒りを殺すことと、感受性の欠如は反比例の関係にあると思う。
個人的には。

それはそれとして、僕が生きていることには何のメリットもないわけであるが、かといって、僕の趣味がそれで変わるわけではない。

意味はないのかもしれないけれど、混乱した意識のなかからただたれ流れてくる言葉の端々に、奇妙な関連性を見出そうとする、一連の発散作業は、僕にとって非常に重要なことなのだ。

乱れ打ちする言葉のなかから、なかからというか、乱れ打ちする言葉を誰かが受け取るはずもなく、また、うけとってはならない。それは、死を意味する。大げさに言えば。。。

闇雲に仕事をこなしていくことに何のメリットもないだろうかあるだろうか。

幸せへの渇望を長々と耽溺すべきものとして享受することは、はなはだ、いかれた物言いのように思える。すなわち、交通事故で死なない限りは、何らかの感動も、そこに用意されるに違いない。

みだれても、くずれても、いかがわしい幸せなどは何もないといっていい。

今日の夕食は何にしようか。。。

米にするか、麺にするか。
米だろうな。
そういえば、そろそろ米がなくなってきていた。
今日は米を買おう。

なす食おう。
チーズのせて焼くか。
あと、きゅうりとトマトも。
これは生で。
それからキャベツを炒めよう。

うん。

そうすると、汁物が必要になるね。

懸案のつみれ汁にしよう。

それでいいかなー。

いいだろう。
そうだろう。

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