2015年1月9日金曜日

日記をつけろと

親に言ったけれど、むしろ自分がつけろという話で、何言ってるかわかってないやろ。と、思わざるを得ない。

何を言ってるか、自覚するというのは、言い換えれば、自分の発言の一貫性を保つことを意識するということだろう。それは、全体を俯瞰する視点を必要とする。相手の話に一貫性を感じるとき、とても好感を持つし、尊敬もする。では、自分も一貫性のある発言をしようかと考えると、これは大変難しいのだ。そこにとらわれすぎると、表現が貧しくなる、というか、僕は豊かに一貫性のある話をして、人と楽しむのは、難しいということ。

何が難しいのか、もう少し考えたいけど、時間が無いのでまた今度。今はトラブルの最中で、リカバリーを頑張ると謝罪に注力しなければならない。それ以外は後回し。

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