じつにすばらしいものを、私は今日いただきました。
しかし、これをいかに返せばいいのか、僕にはわかりません。
どうすれば、同じように、元気になってくれるでしょうか。
2008年9月30日火曜日
2008年9月18日木曜日
なんともない
一昨日の面接まとめ。
彼が言っていたことはこういうことだと思う。
オープン系のプログラマと呼ばれる人たちの多くは、上級言語をベースにした開発しか知らない。
したがって言語の進歩を後追いしていくことに終始してしまい、言語を道具として利用することができないまま、言語に使われて、それに疲れて辞めていってしまう。
低級言語は、シンプルな命令セットしか用意されていないので、プログラムに個々人の能力差が出やすく、そこで切磋琢磨してきた人たちにとっては、上級言語はスマートな使いやすい道具としてある。
おそらくこの問題は大きな視点で見て一つ正しい。なぜなら、だからこそ、プログラマと言われる人たちは昔少なかったし、重宝されてきた。
しかし、一方で、個人的な問題。つまり、そもそも育ってきた環境や、現在おかれている状況の中で形成される自我もまた、言語を道具として利用する人たりえるかどうかの大きな基準となる。
なぜなら、上述の文脈における本当のプログラマ(彼はそれを技術者と呼んだ)たるためには、自分の意志を強く持ち、それを維持するだけの鍛錬、忍耐、突破を持続的に行うだけの強い何かが必要になってくるからだ。
では、僕は「技術者」にはなれないのか?
そこで彼は提案をしてくれた。組織にはいろいろなタイプの人間が必要とされているからだろう。
ここで言う技術者は、いわゆるわが道を行くタイプで、力強いが、独走しがちである。
そこで、いろいろな視点を提供してくれるチェック機構が外部に必要となる。
それを担う人間に求められるのは、持続的な技術の収集と蓄積、そして、それを引き出しにして問題の発生を未然に防いだり、発生した問題のフォローをすることだ。
この役割なら僕にもできるかもしれないと思った矢先、それなら元の会社でやってたことと変わらないじゃないか。ということに気づいた。。。
じゃあ戻るか。
戻らないかと誘いは来ているわけだし。
しかし、そうなると、私生活に影響が。。。
つづく
彼が言っていたことはこういうことだと思う。
オープン系のプログラマと呼ばれる人たちの多くは、上級言語をベースにした開発しか知らない。
したがって言語の進歩を後追いしていくことに終始してしまい、言語を道具として利用することができないまま、言語に使われて、それに疲れて辞めていってしまう。
低級言語は、シンプルな命令セットしか用意されていないので、プログラムに個々人の能力差が出やすく、そこで切磋琢磨してきた人たちにとっては、上級言語はスマートな使いやすい道具としてある。
おそらくこの問題は大きな視点で見て一つ正しい。なぜなら、だからこそ、プログラマと言われる人たちは昔少なかったし、重宝されてきた。
しかし、一方で、個人的な問題。つまり、そもそも育ってきた環境や、現在おかれている状況の中で形成される自我もまた、言語を道具として利用する人たりえるかどうかの大きな基準となる。
なぜなら、上述の文脈における本当のプログラマ(彼はそれを技術者と呼んだ)たるためには、自分の意志を強く持ち、それを維持するだけの鍛錬、忍耐、突破を持続的に行うだけの強い何かが必要になってくるからだ。
では、僕は「技術者」にはなれないのか?
そこで彼は提案をしてくれた。組織にはいろいろなタイプの人間が必要とされているからだろう。
ここで言う技術者は、いわゆるわが道を行くタイプで、力強いが、独走しがちである。
そこで、いろいろな視点を提供してくれるチェック機構が外部に必要となる。
それを担う人間に求められるのは、持続的な技術の収集と蓄積、そして、それを引き出しにして問題の発生を未然に防いだり、発生した問題のフォローをすることだ。
この役割なら僕にもできるかもしれないと思った矢先、それなら元の会社でやってたことと変わらないじゃないか。ということに気づいた。。。
じゃあ戻るか。
戻らないかと誘いは来ているわけだし。
しかし、そうなると、私生活に影響が。。。
つづく
2008年9月17日水曜日
体制に影響なし
忌々しい限りの、日々の戯れに、生真面目な新幹線のダイヤのように、微塵も残っていない、関係性の飛騨をかんがみて、望むべくは、幸せであり、なにもかもそこに仕事がないことにゆらいするのか、しないのか、皆がみな行き止まりの快楽を禁止しているかのような、しらっばっくれた期待通りの身近な身辺の整理。
難しいことは何も判らないけれど、みんながみんなそれを期待しなくてもいいはずなのに、それを上手く使っていけないのは、単にそれが禁断症状に近いからなのかもしれない。
ぬかるみのなかで、いけたものと、いかれたものの、みじかな存在をうつうつと感じて置くのは、民衆心理の問題なのかもしれない。
10年後にはこの国は壊れてしまっているだろうと、ある人が言っていたけれど、あながち間違った話でもないように思う。
とんとん拍子で何かが進むはずもなく、ただ単にしんどいだけでもないだろう。
幸あれ。
難しいことは何も判らないけれど、みんながみんなそれを期待しなくてもいいはずなのに、それを上手く使っていけないのは、単にそれが禁断症状に近いからなのかもしれない。
ぬかるみのなかで、いけたものと、いかれたものの、みじかな存在をうつうつと感じて置くのは、民衆心理の問題なのかもしれない。
10年後にはこの国は壊れてしまっているだろうと、ある人が言っていたけれど、あながち間違った話でもないように思う。
とんとん拍子で何かが進むはずもなく、ただ単にしんどいだけでもないだろう。
幸あれ。
2008年9月5日金曜日
光通信
忘れてはならない仕事のひとつが、電気、通信環境の整備。
フレッツ光の営業さんがやってきたので、我が家もこれを機に光通信に切り替えるかという話になり、しかし、光導入にそれほど積極的になる理由もなく、あえていえば、Wii買うなら欲しいよな、というところだろうか。
地デジ問題とか世の中ではお話が盛り上がっているようですが、詳しい話はつゆしらず、あまり気にもしていなかったら、なんと、アンテナまで新しくする必要があるというじゃないですか。光通信サービスを利用していれば、オプションとして地上波デジタル放送のIP再送信サービスを提供してくれるとのこと。
アンテナはですね。大家さんと掛け合わないといけないでしょうね。ということで、地デジ目的の加入はあまり考えられない。
ひとついえるのは、現行のYahooBB ADSL 50MBの利用料金とNTTの回線使用料をあわせると、フレッツ光と料金がほとんど変わらないというところ。
あとは、EO光という関西限定のサービスがあるんだけど、使い始めてから2年くらいはフレッツの方が安そうだ。
ルータの機能に一部面倒なところはあるみたいだけど、なんとかなるっちゃなる程度。
仕事決まってからにしたほうがいいかもねー。
フレッツ光の営業さんがやってきたので、我が家もこれを機に光通信に切り替えるかという話になり、しかし、光導入にそれほど積極的になる理由もなく、あえていえば、Wii買うなら欲しいよな、というところだろうか。
地デジ問題とか世の中ではお話が盛り上がっているようですが、詳しい話はつゆしらず、あまり気にもしていなかったら、なんと、アンテナまで新しくする必要があるというじゃないですか。光通信サービスを利用していれば、オプションとして地上波デジタル放送のIP再送信サービスを提供してくれるとのこと。
アンテナはですね。大家さんと掛け合わないといけないでしょうね。ということで、地デジ目的の加入はあまり考えられない。
ひとついえるのは、現行のYahooBB ADSL 50MBの利用料金とNTTの回線使用料をあわせると、フレッツ光と料金がほとんど変わらないというところ。
あとは、EO光という関西限定のサービスがあるんだけど、使い始めてから2年くらいはフレッツの方が安そうだ。
ルータの機能に一部面倒なところはあるみたいだけど、なんとかなるっちゃなる程度。
仕事決まってからにしたほうがいいかもねー。
2008年9月4日木曜日
マッチポンプと価値創造
仕事をふやして、じぶんで片付けることと、価値を創造することは紙一重のように見えるが、実はまったく違っているということが判る。
コストパフォーマンスが悪い物は、商品としてはいただけない。
では、何を改良するべきか?
おそらく時間を無駄にしないことが大切だ。
しかし、新しい発見や、物事のより深い理解のためには、なにもせずにボーっとしている時間がどうしても必要だ。ならば日々のルーチンワークはできるだけ、決まったフォーマットにのっとってすばやく終わらせることが大切になってくる。
というわけで、作業のマニュアルを個人的に作成することにしようと思う。
僕の担当している仕事は今のところ、
・洗濯
・そうじ
・夕食の準備
の三つである。
洗濯:
1:洗濯かごに入っている洗濯ものを洗濯機にいれる。
1-1:下着類や冬物のセーターはネットにいれる。
2:洗濯機に洗剤をいれる。
3:スイッチを入れる。
4:ブザーがなったら、たらいに洗い終わった洗濯物をうつす。
4-1:ブザーがなった後長時間放置すると、乾いた後の衣類から腐臭がすることがあるので、速やかに作業にうつること
5:二回に運ぶ。
6:ピンチハンガーを準備する。
7:ピンチハンガーに洗濯物を干す。
7-1:Tシャツは下向き
7-2:重いものほど両サイドに
8:ベランダにピンチハンガーを移動する。
9:全ての洗濯ものが乾燥したことを確認し、室内にピンチハンガーをとりいれる。
10:ピンチハンガーから洗濯物をとりはずす。
11:取り外した洗濯物をたたんで分別する。
11-1:衣類、パジャマ、タオル、寝具、クッションカバーに分別
12:それぞれを所定の位置に移動する。
以上
つづく
コストパフォーマンスが悪い物は、商品としてはいただけない。
では、何を改良するべきか?
おそらく時間を無駄にしないことが大切だ。
しかし、新しい発見や、物事のより深い理解のためには、なにもせずにボーっとしている時間がどうしても必要だ。ならば日々のルーチンワークはできるだけ、決まったフォーマットにのっとってすばやく終わらせることが大切になってくる。
というわけで、作業のマニュアルを個人的に作成することにしようと思う。
僕の担当している仕事は今のところ、
・洗濯
・そうじ
・夕食の準備
の三つである。
洗濯:
1:洗濯かごに入っている洗濯ものを洗濯機にいれる。
1-1:下着類や冬物のセーターはネットにいれる。
2:洗濯機に洗剤をいれる。
3:スイッチを入れる。
4:ブザーがなったら、たらいに洗い終わった洗濯物をうつす。
4-1:ブザーがなった後長時間放置すると、乾いた後の衣類から腐臭がすることがあるので、速やかに作業にうつること
5:二回に運ぶ。
6:ピンチハンガーを準備する。
7:ピンチハンガーに洗濯物を干す。
7-1:Tシャツは下向き
7-2:重いものほど両サイドに
8:ベランダにピンチハンガーを移動する。
9:全ての洗濯ものが乾燥したことを確認し、室内にピンチハンガーをとりいれる。
10:ピンチハンガーから洗濯物をとりはずす。
11:取り外した洗濯物をたたんで分別する。
11-1:衣類、パジャマ、タオル、寝具、クッションカバーに分別
12:それぞれを所定の位置に移動する。
以上
つづく
2008年9月3日水曜日
娑婆
いつか娑婆にでようと、そしたらビールを飲みつつ、映画を観ようとそう思い焦がれていたのは、しばらく前のことだけど、無作為につづる言葉と裏腹の価値観がすでに、闇雲な悪夢の垂れ流しであることに気づき始めた現在にあって、日記をつづることが少し準備を要することだということに気づいてしまった。
耕すことにしよう。
今日のテーマ:
収穫の準備、および収穫
本文:
というわけで、赤くなった唐辛子を収穫した、10本ほど。
にんにくとあわせて酢漬けにしたいと思っている。
それとは別に、新しい仕事を求めて勉強しているわけだけれど、基数変換のからくりを理解しようとしているうちに、数の世界の広さを知らされる、そのまま突き進もうとするも、あまりに大きく断念。ふがいない。
そうこうしているうちに、学習範囲をどう絞ればよいのか良く判らなくなって悩む。また、目標を絞る必要があるのかもしれない。
今、興味があるのは、家電製品やオーディオソフトの操作パネル。あと、ファームウェアにも少し興味がある。
そこから少し飛躍して、ウィジェットの作成は良いかもしれないと思う。
これらの分野では今まさにHTMLやJavascriptといったWebから生まれた表現が利用されているらしい。
少し前まで、僕はこれらの表現を用いてアプリケーションの開発に追われていた、開発に必要なほとんど全ての解をWeb上の情報に頼らざるをえなかったし、それで何とかなる部分は実際大きかった、僕がやるのは、アプリケーション固有のプロセスを少し書いてやればいいだけ、複雑なアルゴリズムなんて一切必要ない。はたして僕がプログラマーだったのかどうか、考えると暗くなるのであまり考えたくはないけれども、開発案件が徐々に情報の少ない分野に移ってきたころ、僕がまったくの役立たずになっていたことを考えると、そうでもないのだろうと思う。当時もそんなことを思い、この業界を離れることを決意したのだけれど、それは言語の変遷が非常に早く、自分がついていけないことに起因していると考えていた。しかし、今僕が興味を示しているのは、まさに、またしても、そういった変化の早い技術が利用されている分野であるわけだ。
では、なぜこの分野に興味を持つのかといえば、話は簡単だ。
・制御系の言語はやったことがない、Web系の応用なら何とか仕事が見つかるような気がする。
・現在のWeb上でのサービスは一通り出揃った感があり、パソコンとブラウザを利用した新しいサービスが今後増えるのかというと、それは疑問だし、自分もあまり利用しないという部分もある。それに対して、家電製品には今後も新しい機能が追加されるだろうし、それにともなって、操作するためのインターフェースも多様化してくるのではないだろうか。その部分ですこしでも仕事ができるならこんなに面白いことはないではないか。
・Web上で展開するサービスに比べて、操作パネルという限られた条件の下に開発が行える方が、目的がはっきりしていて考えやすいではないか。
・プログラマとして食べて行きたいわけで、後はSE、PMにというところまではまだ考えられない。
これに対して、
ECMAScriptはインターネット上での情報伝達フォーマットとして誕生し、Webクライアントの高性能化とともに情報閲覧や情報操作のためのインターフェースとしての豊かな表現方法を獲得していった、これには高速情報伝達を武器とするインターネットの普及が大きく貢献したわけであるが、もともと直感的な操作性を追及するために生み出されてきた表現によって、現代人のもつ視角は大きく変化させられることとなったわけである。
つまり、技術のオープン化による進化の高速化によって達成されたものであり、今後も激しく変化していく表現であるということですな。
そんなところに戻っていってついていけるのか?俺
ここまできてふと思う。情報処理の基礎理論はいったい何の役に立つのか。僕が求めていた技術者としての基礎とはいったいなんなのだろうか?
おそらく、プロセッサとメモリとディスクを連携させるためのもっとも原初的なプロセスが現在の高級言語に如何にして応用されてきたのか。それを知ることで、新しい環境や言語の根本的な概念の理解をたやすくし表層的な概念の理解とともに、未知の問題に対する柔軟な解法を生み出すだけの筋肉を鍛えることなのだろう。
つまり筋トレですな。
つまりついていけないなら、ついていけるようになろうと。
しんどい選択ですな。
つづく
耕すことにしよう。
今日のテーマ:
収穫の準備、および収穫
本文:
というわけで、赤くなった唐辛子を収穫した、10本ほど。
にんにくとあわせて酢漬けにしたいと思っている。
それとは別に、新しい仕事を求めて勉強しているわけだけれど、基数変換のからくりを理解しようとしているうちに、数の世界の広さを知らされる、そのまま突き進もうとするも、あまりに大きく断念。ふがいない。
そうこうしているうちに、学習範囲をどう絞ればよいのか良く判らなくなって悩む。また、目標を絞る必要があるのかもしれない。
今、興味があるのは、家電製品やオーディオソフトの操作パネル。あと、ファームウェアにも少し興味がある。
そこから少し飛躍して、ウィジェットの作成は良いかもしれないと思う。
これらの分野では今まさにHTMLやJavascriptといったWebから生まれた表現が利用されているらしい。
少し前まで、僕はこれらの表現を用いてアプリケーションの開発に追われていた、開発に必要なほとんど全ての解をWeb上の情報に頼らざるをえなかったし、それで何とかなる部分は実際大きかった、僕がやるのは、アプリケーション固有のプロセスを少し書いてやればいいだけ、複雑なアルゴリズムなんて一切必要ない。はたして僕がプログラマーだったのかどうか、考えると暗くなるのであまり考えたくはないけれども、開発案件が徐々に情報の少ない分野に移ってきたころ、僕がまったくの役立たずになっていたことを考えると、そうでもないのだろうと思う。当時もそんなことを思い、この業界を離れることを決意したのだけれど、それは言語の変遷が非常に早く、自分がついていけないことに起因していると考えていた。しかし、今僕が興味を示しているのは、まさに、またしても、そういった変化の早い技術が利用されている分野であるわけだ。
では、なぜこの分野に興味を持つのかといえば、話は簡単だ。
・制御系の言語はやったことがない、Web系の応用なら何とか仕事が見つかるような気がする。
・現在のWeb上でのサービスは一通り出揃った感があり、パソコンとブラウザを利用した新しいサービスが今後増えるのかというと、それは疑問だし、自分もあまり利用しないという部分もある。それに対して、家電製品には今後も新しい機能が追加されるだろうし、それにともなって、操作するためのインターフェースも多様化してくるのではないだろうか。その部分ですこしでも仕事ができるならこんなに面白いことはないではないか。
・Web上で展開するサービスに比べて、操作パネルという限られた条件の下に開発が行える方が、目的がはっきりしていて考えやすいではないか。
・プログラマとして食べて行きたいわけで、後はSE、PMにというところまではまだ考えられない。
これに対して、
ECMAScriptはインターネット上での情報伝達フォーマットとして誕生し、Webクライアントの高性能化とともに情報閲覧や情報操作のためのインターフェースとしての豊かな表現方法を獲得していった、これには高速情報伝達を武器とするインターネットの普及が大きく貢献したわけであるが、もともと直感的な操作性を追及するために生み出されてきた表現によって、現代人のもつ視角は大きく変化させられることとなったわけである。
つまり、技術のオープン化による進化の高速化によって達成されたものであり、今後も激しく変化していく表現であるということですな。
そんなところに戻っていってついていけるのか?俺
ここまできてふと思う。情報処理の基礎理論はいったい何の役に立つのか。僕が求めていた技術者としての基礎とはいったいなんなのだろうか?
おそらく、プロセッサとメモリとディスクを連携させるためのもっとも原初的なプロセスが現在の高級言語に如何にして応用されてきたのか。それを知ることで、新しい環境や言語の根本的な概念の理解をたやすくし表層的な概念の理解とともに、未知の問題に対する柔軟な解法を生み出すだけの筋肉を鍛えることなのだろう。
つまり筋トレですな。
つまりついていけないなら、ついていけるようになろうと。
しんどい選択ですな。
つづく
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